1988年に旧ソ連でのみ発売されたポールのロックン・ロール・カバー集。
当時ソ連のロック・ファンのためにということで西側諸国では入手困難だったため、ブートが出回るようになってしまった。結果、91年に全世界でリリースとった。自分はそのCD化の際に買った。その時既にボーナストラックでソ連でLP発売時より収録曲数が増えてますね。
自分の中では制作上の経緯はどうあれ、ジョンの「ロックン・ロール」に対するポールの「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」みたいに思っていて、当時から一緒に聴いてました。
ジョンの75年の「ロックン・ロール」が訴訟問題がきっかけだったり、プロデューサーのフィル・スペクターが録音テープを持ち逃げするなど逆境が目立つのと同じように、ポールも84年の「ヤァ!ブロードストリート」は映画は芳しくなく、肝心のアルバムも過去の曲のリメイクが目立ちぱっとせず、86年の新作「プレス・トゥ・プレイ」で評価を得られず低迷していた時期で、いわゆる「スランプ」のレッテルが貼られて、やはり逆境に立たされた状況。ポールの場合は、スランプから抜け出すためにいっちょ初心に帰ってみようと、いわゆる「ゲットバック」気分で始めたプロジェクトだったんですな。
だからなのか、サウンドは物凄くシンプル。エンジニアはピーター・ヘンダーソン。「スピード・オブ・サウンド」や「ロンドン・タウン」にもエンジニアやアシスタント・エンジニアとして参加している旧知の仲。
ビートルズでもおなじみの「カンサス・シティ」で幕開け。ビートルズ時代の演奏と同様のアレンジ。続く「トウェンティ・フライト・ロック」はポールのエディ・コクラン節が楽しめる、キレのある1曲。
「ルシール」、「ザッツ・オールライト・ママ」などビートルズのBBCライブでも演奏されており、ポールの定番持ち歌だったことが分かる。
「エイント・ザット・シェイム」はジョンの「ロックン・ロール」でもカバーされていて、比べてみるのも面白い。
自分の中のベストは「ローディ・ミス・ローディ」。
リンダが一切レコーディングに参加してないが、ソ連盤LPのジャケットのデザインをしたとのこと。